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東京高等裁判所 昭和53年(ネ)2898号 判決

控訴人

横須賀市

右代表者市長

横山和夫

右訴訟代理人

中山明司

右指定代理人

長島孝男

外二名

控訴人

株式会社村上工業所

右代表者

村上多美治

右訴訟代理人

小林嗣政

村田恒夫

被控訴人

長井沙智子

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被控訴人の土地賃借権について検討する。

請求原因事実第一項前段の事実は争いがないから、被控訴人の夫長井喜代治が昭和二七年三月頃設定を受けた賃借権の期間は三〇年というべく、その特定承継人である被控訴人は昭和五七年三月までの被控訴人主張の土地の賃借権を有するのである(以下この賃借地を被控訴人借地という。なお右賃借地の北東側が本件市道の南西端に接するか否かは後述する。)。

二横須賀市道一〇一六号の位置および範囲について検討する。

〈証拠〉によれば、本件市道は別紙図面B'(以下○を省いて表示する。B'点は別紙図面AB延長線上の、AからB方向へ3.78米(2.08間)の距離の地点)を順次直線で結んだ位置、範囲であるものと認められる。

右認定についてふえんする。証人福田行雄の証言によれば、横須賀市道の位置、範囲は公図によつて示されていると認められる。そして、前出甲第五〇号証(公図写)によれば本件市道は、北東側を北西から南東に走る市道と丁字状に接して開口し、北西路側を三春町二丁目一六番三(これが同所一九番一と表示すべきものであることは争いがない。)に、南東路側を同丁目一九番一(これが同所一九番二と表示すべきものであることは争いがない。)に接し、南西端を同丁目二〇番六に接して行き止まりとなる直線路であることが認められるが、公図の表示を縮尺に従つて拡大する以上には、その正確な位置、範囲を知ることができない。しかし、証人坪井研至の証言により周辺土地が埋立造成された後間もない頃作成されたと認められる昭和五年の実測図(丙七号証、後記認定のように当時本件市道は通行の用に供されていた。)によれば、本件市道の北東間口は2.08間(3.78米)、北西路側は8.67間(15.76米)、南東路側は8.38間(15.23米)、南西間口は二間(3.63米)と計測されており、その北西路側線は同丁目一七番四および五の南東側の側辺を直線に延長した線上にあることが認められ、これが、本件市道設置当時のその位置および範囲であるものと考えられる。

そこで現況に即して、右実測図により本件市道の位置を検討する。

前記甲第六五号証(昭和五二年一二月四日測量の本件市道附近実測図)によれば、現地において、右同所一七番四及び五の南東側の側線をそのまま南西方面に延長したとき、これが現況の北西から南東に走る交差市道の南西端側の線と交る点をAとし、この側線がAをこえてさらに南西に延長されて同所一六番三の土地の南東側に存する石垣と交る点をDとすれば、AD間の距離は15.775米となると認められる。これは右丙第七号証における北西路側の15.76米とほぼ一致する。そこでAD線を基準とし、丙第七号証に従い現地について本件市道の位置を定めることとする。まずAから右交差道路南西端側の線に沿い南東に3.78米進んだ点をB'とし、Dから右石垣の線に沿つて南東に3.636米進んだ点をEとする。しかるときは、右甲第六五号証によると、B'E間は丙第七号証の示す南東路側の長さ15.23米と大差はないことが認められる。よつて本件市道はAB'EDAを順次直線で結んだ位置、範囲となる。

右認定に反する証拠として、乙第三ないし第七号証、第八号証の一、二、第一二号証がある。証人福田行雄の証言及び乙第三ないし第七号証の記載自体によると、乙第三、第四、第七号証は昭和四三年頃本件市道路線廃止手続きのために作成されたものであり、乙第五、第六号証はこれらに淵源することが認められる。しかし、乙第三号証等の実測図が作成された昭和四三年当時には、現況において本件市道の位置や範囲(間口や長さ)を示す地物も目標も存在しなかつたのであるから、この実測図がいかなる地点を、いかなる根拠で、本件市道と認定し、測定したのか、その根拠が示されない限り、それは証拠価値のないものであるところ、その認定の根拠を証拠上窺い知ることができない。したがつて、乙第三ないし七号証は前記認定を左右するに足りない。

乙第八号証の一、二の記載自体及び証人長島孝男の証言によると、乙第八号証の一、二は藤森卯源治ら名義の新開免租年期願と題する書面とこれに添付された図面等から成るものであるを認められるが、右証言等によつても、この図面の作成者が何人であるか、又これが正確な測量に基づくものかについては、これを明らかにできず、その他これらの事実を認めるに足りる証拠はないから、右図面をもつて前記認定を左右するに足りず、乙第一二号証は右図面の拡大図にすぎないから、これまた右認定を左右しない。

三被控訴人借地と本件市道との接着の有無について検討する。

〈証拠〉によれば、被控訴人借地とその北東側に隣接する控訴会社借地との間には、控訴会社借地が被控訴人借地よりも後に大正一二年頃から昭和二年頃までの間に埋立造成された土地であるため、被控訴人借地が高く、控訴会社借地が低く、その段差は場所によつて二〇糎ないし六〇糎あり、段差をなす部分に石垣が設けられ、被控訴人借地と控訴会社借地はこの段差によつて当初から区分されて境界に争いがなかつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。この事実と前第二項記述のように、本件市道は公図上三春町二丁目二〇番六に接して行き止まりになつていること、丙第七号証により認められる本件市道の長さと、現況の北西から南東に走る交差市道から、右石垣までの距離とがほぼ一致することに鑑みると、この土地の段差すなわち被控訴人借地と控訴会社借地とを境する石垣の線は、二〇番六と一六番三および一九番一との境界を示すものと認めることができる。被控訴人らは、二〇番六と一六番三および一九番一との境界線は、右の石垣のある段差の線よりも北東側にあり、したがつて、本件市道の南西端は被控訴人借地に接していないというのであるが、昭和初期の一六番三および一九番一の埋立造成当時、この境界付近の地形がいかなる状況であつたかを知る手がかりはなくむしろ、土地の高低という地形の状況が二〇番六と新たな埋立造成地との境界を形成したものと考えるのが自然であり、これが当時の実測図である丙第七号証に示される状況ともよく一致する。してみれば、被控訴人借地の北東端は二〇番六の北東端と一致し、したがつて、被控訴人借地は本件市道の南西端と接着し、本件市道は被控訴人借地に接して行き止まりとなつていたものである。

〈反証排斥略〉

四本件市道の通行利用および閉塞の状況について検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

「1 本件市道およびその北西に接する一六番三、南東に接する一九番一の各宅地は昭和初め頃の海岸埋立によつて造成され、以来、本件市道は、昭和一九年頃まで、その南西に接する二〇番六宅地の住所者など付近住民によつて道路として使用されてきた。

2 昭和一九年頃、城内鉄工所が工場を拡張して、被控訴人借地に居住していた三世帯が他へ移転し、城内鉄工所は被控訴人借地を含む二〇番六、二〇番五、一六番三の南東側、一九番一の北西側一帯を工場敷地、資材置場として所有者から賃借使用し、本件市道はこの工場敷地内に空地として取り込まれた形となつて、工場敷地内通路あるいは資材置場として使用されるようになつた。

3 昭和二二年頃、城内鉄工所は新倉商店に右地上建物および右借地権を譲渡し、新倉商店は、被控訴人借地の南西側市道に面する付近の建物を拡張して十文字金物店を営み、これによつて、被控訴人借地から南西側市道への通路は、幅員1.45米ないし二米となり、資材運搬用トラックによる通行はできない状態となつた。

新倉商店は、自動車部品製造を目的とする有限会社横須賀製作所に被控訴人借地上の工場建物及び右借地権を譲渡した。トラックを使用しての同製作所から公道への出口は本件市道方面のみであるから、本件市道は城内鉄工所時代と同様に使用され、本件市道の北東側間口付近には門扉が設けられた。横須賀製作所は、昭和二六年九月以前、本件市道の南東に位置する一九番一の本件市道寄り付近に木造亜鉛平家建倉庫二二坪五合(家屋番号三春町二丁目一二〇番三、いわゆるA建物)を建築した。

4 横須賀製作所は昭和二六年九月八日頃、A建物および一六番三、一九番一の借地権を二階堂悟に売渡し、二階堂悟は昭和三〇年八月一五日これを森雄千代に売渡した。

5 その間、昭和二七年三月頃、横須賀製作所は被控訴人の夫長井喜代治に被控訴人借地上の工場建物を売渡し、喜代治は八幡安太郎から被控訴人借地を賃借した。喜代治は金属スクラップ業者であり、被控訴人借地上の工場建物を解体し、その解体材を本件市道部分を通つて、トラック等車両で北東側市道方面へ搬出し、又、建物解体後は、被控訴人借地を金属スクラップ業の資材置場や選別場として使用したため、被控訴人借地に金属資材をトラック等の車両で搬出入する必要に迫られ、北東側市道およびそれらに連らなる国道方面から出入すべく、本件市道を車両で通行し、又、喜代治と取引のある同業者も同様に通行した。その頃、本件市道は当該部分の地面が車両等の通行によつて固められ、その両側である南東側、北西側の路側付近は草が生えた空地であつたから、その幅員等は判然としていなかつた。

6 森は一九番一宅地上のA建物で洗濯業を営み、昭和三二年頃本件市道上に洗濯工場(いわゆるB建物)を増築し、その結果AB建物は一体となつた(これが家屋番号三春町二丁目一二〇番三建坪四七坪四合一勺の建物である。)。A建物部分は洗濯工場の事務所、B建物部分の床は土間で洗濯作業場として使用されるようになつた。これに伴つて、従来本件市道を車両を車両で出入していた喜代治および被控訴人(被控訴人は昭和二八年頃から喜代治と結婚生活を始めて、同業を営んだ。)は、本件市道を通行することができなくなつたが、本件市道に接する北西側の空地部分(一六番三の南東端に当たる。)を本件市道に沿つて、従来通り車両で通行して公道から被控訴人借地へ往来し、これによつて事実上従前の通行を妨げられることはなかつた。昭和三一年被控訴人は被控訴人借地に居宅および倉庫を建築し、居宅には喜代治の弟清一の家族を居住せしめ、ここを金属スクラップ業長井商店の事務所として使用し、右清一も公道へ通ずる道路として前記の場所を通行した。

7 控訴会社は、昭和三二年四月一日、昭和三二年四月一日、森雄千代からAB建物を買受け、あわせて一六番三および一九番一のうち本件市道に接する右建物敷地部分及び空地の借地権を取得したが、本件市道に接する北西側の空地部分を被控訴人らが被控訴人借地への通路として使用する状態には変更がなかつた。

長井喜代治は昭和三五年頃被控訴人に右土地賃借権を譲渡し、当時賃貸人の承諾を得た。

8 控訴会社は、昭和三五年一一月一四時、一六番三宅地上にB建物に接して鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺二階建工場建坪一階二階とも二四坪(家屋番号三春町二丁目一二〇番四、いわゆるC建物)を建築し、これによつて被控訴人借地から北東側市道への通行は不能となつた。被控訴人および夫喜代治はこの建物が建築されるに際して控訴会社に対し、建築によつて被控訴人らの北東側市道への通路をふさがないよう懇願したが、控訴会社は自らの借地であることを理由にこれに応じなかつた。

C建物の建築によつて被控訴人借地は公道への通路を失うことになつたので、被控訴人および喜代治は被控訴人借地内の倉庫の板壁を除去して戸口を作り、以来現在までこの倉庫と戸口とを通つて、南西側市道に通ずる長さ10.6米、幅員二米ないし1.45米の露地を経て右市道へ出ており、この露地の使用者である岸田の承諾を得ていたが、これは歩行の用に供し得るだけで、車両による資材搬出入は不可能である。

9 控訴会社は、AB建物を取毀してその跡地に別紙目録二の鉄骨造スレート葺二階建工場(D建物という。)を建築しようとし、昭和四二年六月二七日に控訴市の建築主事に対して建築確認申請をなし、同月二八日これが確認され、控訴会社はこの建築にとりかかつた。このD建物の建築中、被控訴人は、近隣の者から知らされてD建物敷地に本件市道が存在することを知り、控訴市に赴いて本件市道の存在を確かめ、控訴市の建築指導課および用地課の職員も本件市道の存在することを認め、建築指導課は控訴会社に対して建築工事を中止するよう指導し、控訴会社は始めてD建物敷地に本件市道が存在することを知つた。控訴会社は、建築指導課の助言によつて、建築についての被控訴人の同意を求め、又、被控訴人に対して、被控訴人借地の借地権を控訴会社に譲渡するよう求めたが被控訴人はこれを拒み、同年九月一九日頃には、建築指導課は控訴会社および被控訴人に対して、D建物の建築を認める代りに控訴会社借地内に、本件市道にかわる被控訴人のための通路を設ける仲裁案を提示したが、被控訴人の容れるところとならなかつた。控訴会社は、被控訴人が本件市道について譲歩しないとみるや、建築指導課による再三の制止にもかかわらず、D建物の建築を続行し、本件市道および一九番一の西北側にまたがつて、D建物を建築完成した。

被控訴人は昭和四三年六月二八日本訴を提起した。」

五控訴市が道路法第一〇条第一項に基づいて、市議会の議決を経たうえ、昭和四三年一二月二七日、本件市道の路線廃止処分をなし、その告示をしたことは当事者間に争いがない。よつて前記認定事実に基づき右廃止処分の効力について判断する。

1  道路法第一〇条第一項は、市町村長は、市町村道について、一般交通の用に供する必要がなくなつたと認める場合においては、当該路線の全部又は一部を廃止することができる旨を定めている。そこで、本件市道が一般交通の用に供する必要がなくなつたと認める場合に該当するか否かについて前記認定に基づき検討する。

まず本件市道は昭和始め頃から昭和一九年頃まで付近住民によつて道路として使用され、その後昭和二六年までは、工場内の空地として道路或いは資材置場とされたものの、昭和二七年から三二年頃まで、市道であるものとは意識されないままに、被控訴人借地にいたる通路として、被控訴人および夫喜代治、被控訴人借地の居住者、被控訴人借地への来訪者が使用したのであるから、この当時までは本件市道自体は通行の用に供されていたというべきである。

さらに昭和三二年頃から三五年一一月までの間は、本件市道上にB建物が増築されたため、本件市道の利用者は本件市道に接する北西側の空地を本件市道に沿つて通行した。本件市道は当時前記のように範囲の明瞭でない道路であつたから、本件市道部分が通行できなくなつて、これに接する空地が通行に用いられていても、市道の必要性という視点からすれば、本店市道が通行の用に供されているのに準ずる状態にあつたものと考えるべきである。

右通行の用に供されていることが、果して一般交通の用に供されていることに該当するか否かについて考察すると、本件市道は長さが約一五米余に過ぎず、その北西路側は一六番三に、南東路側は一九番一に接し、南西端が二〇番六に接して行き止まりとなる地形であり、一六番三と一九番一は、北西から南東へ走る市道に面しており、本件市道に公道への通行を依存するのは右各土地の利用者に限られる。しかしそうであつても本件市道の利用が一般性を欠くとはいえず、これは一般交通の用に供されていたというべきである。

右のような本件市道の通行利用状況であつたところ、昭和三五年にC建物が建築されて被控訴人借地から公道への道路が閉塞され、被控訴人ら本件市道の通行利用者は、やむを得ず南西側隣地を僅かに歩行通行し得てはいるものの、被控訴人借地に車両を入れられないとの職業上の支障を来たしている状態が続いていたのであるから、昭和四三年一二月当時、本件市道が一般交通の用に供する必要がなくなつたと認められる状況ではなかつたことは明らかである。

2  路線廃止処分にいたる経過を検討すると、路線廃止に際して控訴市が被控訴人から事情や意見の聴取を行わなかつたことは当事者間に争いがない。

控訴市は、市道の住民による利用が妨げられないよう管理し、建物敷地とされるなど私用に供されることのないよう保全すべき義務があるのに、前記事実によると、控訴市は昭和三二年頃B建物が本件市道上に建築されたことを看過し、又、昭和四二年に控訴会社がAB建物を取毀して、本件市道上にD建物を建築すべく建築確認申請をしたのに対し、控訴市の市長の指揮監督下にある建業主事は建築確認を与えてしまつた。その後、控訴市は前記のようにD建物が本件市道上にあることを知つたのであるから、建築確認を取り消して、控訴会社に対してD建物の除去を命ずるなど本件市道を保全する措置をとるべきであつたのに、これをしなかつた。このため被控訴人は昭和四三年六月二八日、控訴会社、控訴市および被控訴人借地所有者八幡久夫に対して、被控訴人借地の借地権の存在確認、本件市道の通行権確認およびD建物の収去本件市道明渡を求める本件訴えを提起した。控訴市は路線廃止処分をするに際しては、道路法第一〇条第一項の要件をみたしているか否か、および路線廃止が適切であるか否かを調査確認すべきところ、公図(甲第五〇号証)、昭和五年の実測図(丙第七号証)および現況を調査すれば、被控訴人借地が市道に接していることを容易に知り得るのにこれを顧慮せず、本件市道の従前の利用状況および本件市道閉塞によつて被控訴人らが蒙つている生活上の支障は、被控訴人が訴訟において主張し、又、その事実については被控訴人ら関係者から事情を聴取すればこれを知り得るのにこれを為さずに、本件市道の路線廃止処分をした。

判旨3 右のように、本件市道については道路法第一〇条第一項の要件がみたされていないのであり、又、路線廃止に際して必要な調査確認を行つたとはいえない。控訴市主張のように、被控訴人代理人大政弁護士の照会に対し回答した事実があつても、この結論を左右しない。この懈怠は、地域住民の正当な利益を擁護しなければならない控訴市がとるべき誠実公正な行政措置とは到底いい難い。本件市道路線廃止は、控訴市が市道上の建物を建築確認したという自ら犯した違法を、事務的に免れるためになした処分であるものと指弾されてもやむを得ないものである。かような路線廃止処分は明白に道路法第一〇条第一項に違反するのみならず、その処分までの経過をみても権限の濫用にあたるとの評価を免れず重大かつ明白な瑕疵を帯び、当然無効である。

六控訴人らは本件市道は事実上道路でなく、すでに黙示の公用廃止を受けたと主張するので検討する。

しかし黙示の公用廃止があるというのは、道路が長年の間事実上公の目的に供用されることなく放置され、道路としての形態、機能を全く喪失し、道路敷を他人が平穏公然と占有を継続したがそのため実際上公の目的が害されるようなこともなく、もはやこれを道路として維持すべき理由がなくなつた場合であると解される。前述のとおり控訴会社のC建物築造により昭和三五年以降被控訴人借地から北東側市道への通行は不可能となり、被控訴人借地から南西側市道への通路は資材搬出入に適しない等、本件市道の閉塞により、被控訴人借地への資材搬出入を含む一般交通という公の目的が害される状態となつているから、本件市道につき、事実上道路ではなく黙示の公用廃止があつたとはいえない。

七控訴会社は本件市道の賃借権を時効取得したと主張するので検討する。

しかし前示のように本件市道については明示にも黙示にも公用廃止されていないのであるから、これにつき賃借権の時効取得は成立しない。

のみならず、控訴会社は昭和三二年四月森から賃借権を譲り受けたのであるが、その際賃貸人たる八幡安太郎が本件市道部分につき、所有権その他の処分権限を有しないにも不拘、控訴会社はこれありと信じたとしても、右部分が市道であることは、横須賀市又は所轄登記所等につき調査すれば判明することであつて、控訴会社はこれを怠りかように信じたことにつき過失を免れない。そして控訴会社が昭和三二年四月から賃借の意思をもつて本件市道を占有したとしても、本訴提起の昭和四三年六月までには二〇年の取得時効は完成していないというの外はない。

また、控訴会社は前主の占有を承継したと主張するが、昭和三二年までは本件市道は一般交通の用に供されており、控訴会社主張のこの間の前主らが賃借人としてこれを占有したとは、到底いえないことは前記認定事実から明白である。つぎに森は昭和三二年頃、それまで前記のように一般交通の用に供されていた本件市道上にB建物を築造したのであるから、少くとも右部分が道路ではないかとの疑念をもち、横須賀市等につき調査すべきであるところ、同人がこの調査をしたとすれば悪意、しなかつたとすれば過失の責を免れない。従つて控訴会社が前主森の占有を承継しても、本訴提起までに二〇年の取得時効期間は満了しない筋合である。

八結論

控訴市に対する別紙目録一記載の土地が市道であることの確認請求についてみるに、本件市道は市道として存在し、控訴市はこれを一般交通の用に供しなければならないのに、建築確認をして市道上の建物の存在を容認し、更には路線廃止処分をして市道が存在しないものと主張しているのであるから、このような場合、現に存在する市道の利用を妨げられている被控訴人としては、本件市道が控訴市によつて、市道として被控訴人を含む住民の利用に供せられるべきものであることの確認を求める意味で、控訴市に対して、本件市道が市道であることの確認を求める訴訟上の利益がある。

しかして、本件市道は第二項記述のように、別紙図面AB'EDAを順次直線で結んだ位置、範囲であると認められるので、別紙目録三記載の土地の範囲についてこれが市道であることの確認を求める被控訴人の請求は理由があるからこれを認容する。

被控訴人の控訴会社に対する請求については、被控訴人の本件市道に対する法律関係が、市道が設置されていることによつて被控訴人がこれを利用する利益を享受することができるとの公物利用関係にすぎないものであつても、市道が設置されているかぎり、被控訴人は被控訴人借地の賃借人としてこれを利用する自由を、市道設置者たる市から与えられているのであるから、市道上に建物を所有してこの自由を違法に妨害する者に対しては、本件市道に接する被控訴人借地の利用に対する妨害として、被控訴人はその妨害を排除する請求権を有する。

そして、前記のように、本件市道は別紙図面AB'EDAを順次直線で結んだ位置、範囲であるところ、被控訴人はこの市道の南西端に接する土地の賃借人であり、本件市道を被控訴人の職業上、金属スクラップ等資材の車両による搬出入に利用していたのに、本件市道上に控訴会社が建物を所有(この事実は当事者間に争いがない)して本件市道を閉塞し、被控訴人の本件市道利用を不能にして生活上の支障をきたしめているのであるから、被控訴人は控訴会社に対して本件市道上の建物を収去して、本件市道を明渡す請求権がある。

よつて控訴会社に対する別紙目録四記載の建物を収去して別紙目録三記載の土地の明渡を求める被控訴人の請求は理由があるからこれを認容する。

九以上説示のとおりであるから、これと同旨の原判決を相当として本件各控訴を棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法八九条、九五条を適用して主文のとおり判決する。

(鰍澤健三 沖野威 佐藤邦夫)

目録及び図面〈省略〉

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